分断される私たち(1)

分断される私たち ~その1~ 

黒田 麻由子(ノンフィクションライター)

 

あの日、大津波に分断された、私たちの善意と悪意。

2011・3・11以降、あたかも津波で分断されるかのごとく、人間の善意と悪意が両極端に枝分かれし、どんどんその距離の総数を増している、そんな印象がある。

いうまでもなく、善意と悪意は一人の人間の中に混在しているのが実際ではあろうが、人間同士のつながりが小さな違いで分断され、望む望まないにかかわらず一人ひとりの孤立が明確化・深刻化していることで、いきおい、善と悪がわかりやすい形で見えてきているということだ。

3・11以前と以後(以下、「以前」「以後」と表記)では、まったく違う世界が目前に展開しているというのは、あちこちから聞こえてくる文言ではあるが、案外、以前からも水面下でことは着々と動いていて、以後に多くの人にわかる形で変化が可視化したといったほうがより正確だ。先の大戦で、戦死した人について語られるとき「いい人ばかりだった。いい人はいつも先に逝ってしまう」と惜しまれるのと似ていて、「善意」の大部分は、おそらく津波で亡くなった人とともに遠くへ流されてしまった。

 

現代の市民活動の特性

ある市民活動の現場で起こっている問題について書きたい。

市民活動とは一口に言うと、経済活動に制約されない、市民の自発的かつ自律的な活動であり、そこには個々の価値観に基づく「理想」が多かれ少なかれ存在する。そのような中、団体を立ち上げたり実行委員会を組織したりすると、目的が一致している間はよいのだが、長い間に、人間と人間の間に、小さな違い、多くはささいな違いであるのだが――があらわれてくる。

そんな形で分裂や物別れが起こり、それだけであればよいが、ときには長年続く、深刻な対立へと移行していくことがある。

市民活動のそういった特性を理解してか、そうでないか、わからないが、ときに権力は「市民の自発的な活動」を都合よく利用して政策を推進しようとすることがある。人々のつながりが希薄になった現代はとくに、草の根的つながりを持つ市民活動のリーダー的存在の人脈は、権力側にとって魅力的なものだからである。

広告会社やPR会社が発動する、手垢のついた感のある広告戦略よりむしろ、非営利でクリーンなイメージのNPOや市民活動団体をうまく味方につけるとそれだけで政策推進の力になることが往々にしてあり、残念なことではあるが、現代はそのようなかたちが散見される時代である。

市民活動の特質の基本は本来、行政では目が届かなかったり、足りない部分について徹底した市民目線に立ち、問題解決をしていく、していける、あるいはその可能性があるということに尽きる。いっぽうで「住民自治」をめざして活動するということは、地方自治体等と直接のかかわりが深くなる側面も多々あって、そこを一歩間違えたり、恣意的に用いられていくと、「安価や無料で働いてくれる、行政の下請け的団体」となったり「政策推進のためのPRを担ってくれる職業市民」になっていたりすることがあるのである。市民活動の特性の二重構造は大変逆説的なものであることがわかる。

行政だけが公共の仕事を担うのではなく、多くの主体が分担・協同して担おうとする「新しい公共」事業も理念は優れているだけに、このような観点から、実際の稼動のされ方について再評価される必要があるだろう。官民協働でよりよい社会を目指し作り上げようという趣旨に反対する理由は何もなく、むしろ賛成である。「おおやけ」の意味は、もともと、住民自身がまちづくりの主人公となって自分たちのまちの課題は自分たちで解決していくということであった。しかしながら同時に、前述したような、NPOや市民活動団体の「特質」をよく理解し、活動を行っていくことは必要不可欠となっている。せっかく活動をしても、目的とは真反対にぶれてしまうとしたら大変残念な事態である。

私たちはいつのころからか、自分の生活に直結するはずの政治の問題に対して、距離をおいてみるようになって久しい。だから原発問題、だれにも重要であるはずのエネルギー問題についても、一般的な多数の国民に、あまりにも知られることのないまま(それ自体、権力の作為だったのかもしれないが)、破滅のすぐ手前まで推進してきてしまった。

 

知らず知らずのうち、「権力」に加担する市民活動。

3・11直前には、日本に原発を増やし、海外へも輸出を広げるなどの政策を円滑にすすめるため、環境活動などに取り組む市民活動団体主催という形で、福島原発に見学に行くためのツアー等が各地で企画されるということがあった。

出発前には活動団体のリーダー的存在を中心に世論が形成され、「原発は危険だけど、必要なものなんだよね」という事前教育がばっちりできていた。とくに高度経済成長時代の日本を支えた男性のなかには、「なければ(日本経済は)こまるんだ」ということを信じきっている人もいて、たとえばそのとき同じく市民活動に取り組む、子育て世代の女性が何か感じたとしても、反対の意見を挟める雰囲気ではなかったという。

これは事故直後に限ったことではないが、原発に見学に行くと、豪華な幕の内弁当をふるまわれたり、お土産には原子炉の格納容器に入っている燃料棒のフィギュアをもらったなどの笑えない話もあった。世論誘導としては子どもだましの仕掛けではあったが、無料でもらえるものについて、悪いイメージを抱く人は少ないということか。本当は「ただより高いものはなし」を地でいく戦略なのだが。2011年明けて1月~2月は、浜岡原発停止の運動が大きく盛り上がっていたころであった。そのすぐ後、福島原発人災が起こったのである。ここに見えざる手を感じるのは私だけだろうか。私たちはすでに、いつの日からか行き過ぎてしまっていたことだけは確かである。

 

世論誘導型ワークショップを請け負うNPO

近年、全国各地で推進されてきた、原発により出される電気のゴミ、放射性廃棄物の地下埋蔵をすすめるための資源エネルギー庁の「理解促進活動」は、3・11以後も全国で展開されている。この活動は市民同士で学びあうワークショップなどの形をとって開かれているが、請け負う団体は東電から不透明な寄付を受けていたり、あるいは企業体を通じて報酬を受けていたりしている場合がよくある。

講習に何回か行けば取得できる環境系の資格を持ったりするプロ司会者がたくみに場をつくり、講師には高学歴の肩書き(東大卒が一般的だが、東大ではないのに東大卒とのプロフィールがついている場合はさすがにのけぞった、という話も)のついた、温厚なイメージの人が採用され、講演会が繰り広げられ。意見交換の場も設けられる。

それでも反対意見が出てくると「そういう意見も受け止めます」などと言っては、お茶とお菓子を配って「休憩タイム」にするなど、ある意味感心さえしてしまう講座はそれでも、どこかしらじらしい雰囲気が漂っていた。会場のあちこちに散らばっている奇妙な作り笑顔の女性たちの存在が不審であったという。チェルノブイリ事故後に、放射線に対する意識が高まり、不安も口にするようになった、生活者としての女性の世論を逆利用して味方につけようと、全国で組織された、原発応援女性団体なのだろうか。

さらに、あるキャンペーン・ワークショップを請け負ったNPOの代表の後方には、原子力ムラの新聞社OBが控えていた。そして自治体や大学にも入り込み、市民参加や地域づくりの専門家として、指導的役割を負っていた。

 

原発推進のキャンペーンやPR戦略の中で動いてきたのは一部の市民活動だけではなく、芸能人・スポーツ選手・学者・元新聞記者とその総数はおびただしい。それらの人々のタイプはいろいろで、すべてのケースに必ずしも大金が動いていたということではないようだ。

「活動資金のためにやった」というのは基本的にお金のないNPOや市民活動の現場を考えると同情に値する場合もあるが、

「原発推進にかかわっていることに無知だった」「みんなの意見に同調して自分もそれがいいと思ってやった」また「好奇心から一度は参加してみたかった」などいろいろである。深く考えず、「お上が推進することだから」と同意していく付和雷同型の日本人的な資質が見え隠れしている。

 

長年培ってきた自分にとって価値あるものをいったん、捨ててみる

それら「以前」のできごとについて、個々の人々がどのように動き、どのように推進したかは、とりあえず「以後」となった現在、プライオリティでいうとすれば、大きな問題ではないだろう。

むしろ、以後は、それらに関わった人がどう活きるか、が一番大きな課題であるように思う。

この一年を見ていると、ひっそりと表舞台を降りた人もたくさんいる。市民の中でも、自分のやったことを反省してその経緯を明らかにしている人も知っている。

ただしいまだに、長年自分が取り組んできたことが、福島原発事故の原因の一翼を担ったことを率直に認めることなく、裏道から「転向」しようとしている人々の一群がいることもまた事実である。

3・11以後はさすがに世間において、原発推進ということを表立って言う雰囲気ではなくなってきたため、「これまで地球温暖化防止に供してきた原発だが、段階的に廃炉にしていくほかはない。しかしながら地球温暖化のリスクをどうするか、課題が残る」というように巧みな言説を弄して「転向」している者が複数ある。

人間は自分がやってきたことに「否」をとなえることが苦手な生き物のようである。人間にとってアイデンティティの揺らぎはおおげさにいうと生存の可否にかかわる。長年、「お金」を基準にものごとを考えてきた人はなおそうである。

しかしながら、とくにこれからの数年間、本当の人間の価値を決めるのは「何をやってきたか」ではなく「自分をいかに客観視し、改めるべきときには改める、ことができるか」であると思う。辛いことではあるが、そこにこそ、飛躍的な魂の成長があるのだと私は信じる。

すでに自分の一部となったものを潔く捨てることは年を経た人間にとって容易ではない。そして、そうできる高い精神性を持つ人が、その段階を抜けることにより、新しい価値が自然とその人間の中に流れ込む。ただし、そのことを体験できる人はそう多くない。この人の数が全人口の3パーセントになると、飛躍的に世界は変わると言われるが、どうであろうか。その数を一人でも増やすことが、今の人類には火急のものとして求められている。

 

ゆらぐ地球温暖化問題

――「地球温暖化」は深刻な課題だ。これを地球規模で改善しなければならない。原発はクリーンなエネルギーで地球温暖化防止に有効だ。――

ここ数年、長く洗脳され続けてきたこの言説は、果たして本当だったのだろうか。後半の「原発はクリーンなエネルギー」という部分の嘘は、すでに大半の人が見抜いているはずだ。では前半はどうだろう。

原発事故から日も浅い頃、ふたたび「地球温暖化対策」という言葉を頻繁に耳にするようになった。

原子力ムラの人々は、トップから末端まで、どうしてもこの主張を譲りたくないようだった。そんなときには、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が動かぬ証拠のようにいつも引き合いに出されてきたが、今となってはこれにも数々の懐疑論が噴出している。

実際に、北極の氷は年々解けているし、夏の暑さの種類が以前と変わってきた、日本はすでに亜熱帯化したなどさまざまな言われ方をしてきた。それらも事実であろう。

公平にみるなら、IPCCによる地球温暖化説とともに、世界は大きなスパンでは寒冷化しているというデータにも着目すべきであろう。(これについての記事は他の章で書きたい)

気のせいではあるが列島の原発すべてが止まった5月5日以降、涼しい日が増えていると感じる。今夏、原発を稼動させなければ、涼しい夏が過ごせるかもしれない。「計画停電」キャンペーンの嘘を私たちは説得力ある行動をともなって見抜けるかどうか。

原発のある場所の沿岸はその排水であたためられ、むかしはたくさんいた魚がいなくなったという話は、原発立地漁民の長く継続した訴えのひとつだったのである。あいた口がふさがらないとはこのことだが、海水があたためられると魚がよく育つなどという「記者会見前の事前勉強のため提供される大嘘」を信じてきたマスコミ記者たちがいる。ここ数十年、原発にまつわる報道はかなりアンバランスで偏向的であった。

 

今日的大マスコミの姿

エネルギー政策に限らず、すでに政策を推進するための「PR作戦」はこのようにいまや当たり前のものとなっている。だからこそ、この実態を知り、大メディアから流れてくる情報をそのまま鵜呑みにするのではなく、そのウラを読むという習慣――リテラシー能力ともいえるだろうが――は、この時代を生き抜くために必須のものとなっている。とくに次代を担う若者たちにはぜひ学んでほしい。

ちなみに、できるだけ国民の議論を避けたい問題が報道として出ていくことが避けられない際には、長期間逃亡していた犯罪者がつかまったとか、芸能人のゴシップ、アイドルグループの人気投票というようなワイドショー的な話題を作為的に流すことが多い。テレビ・一部の新聞などの大マスコミはもちろん、それとわかって報道しているということを消費者・視聴者は覚えておきたい。

もちろん、大マスコミで実際に戦力として動いている人々一人ひとりは、そのような作為を意図して取材しているのではない。職場の競争論理に組み込まれながら、忠実に職務をこなしている。一人ひとりが優秀なジャーナリストであるかというところは、また別の疑問ではあるけれども。いつか「女性は子どもを産む機械」という閣僚の発言が問題視されたことがあったが、今や国民一人ひとりが、確かにある大きな欺瞞のために動かされる「機械」の部品として分断されているような錯覚さえ覚えてしまう。この欺瞞の姿も近いうちに多くの人が知ることになるだろう。

日本にジャーナリズムという思想はすでにわずかしか残っていず、マスコミの多くは当然のことではあるが、企業体としての制約をまぬがれえず、営利追及のための役割を忠実に果たしているだけであるところが、この国の病理の深さを物語る。(その2に続く)

 

 

 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加

黒田 麻由子 (ノンフィクションライター)

主著に『墓石の下には眠らない』(朝日新書・08年)『冒険者忘れえぬ一言』(NHK新書・03年)『ランニングウーマン』(情報センター出版局・96年)がある。その他、書籍の執筆や雑誌等への寄稿歴多数。取材・執筆のかたわら、2011年に地域メディアのグループを立ち上げ、リテラシー能力をいかに高めるか、またジャーナリズムとは何かを考えつつ、活動中。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

カテゴリー

最近のコメント

    コエカタマリンの運営サイト

    LUCE ルーチェ
    自分に正直な女子のための
    <コスメ+趣味>メディア
    Nyagios
    あなたのサイトを死活監視。
    ウェブモニタリングツール
    カタマリマネージャー
    月500円のCMS!既存サイトにも今すぐ導入可能
    Twitterと政治/ぽりったー
    国会議員/地方議員の発言をリアルタイム表示
    ソーシャルメディア活用・改善
    Twitter・Facebook向けソリューションのご紹介
    WONDERWALL
    極小・低電力・低価格な
    デジタルサイネージ端末
    WordPressによるサイト制作・CMS構築
    低価格で充実の更新システム
    NucleusCMSのホームページ制作
    オープンソースCMS導入運用
    MovableTypeのサイト制作・移管など
    構築からメンテナンスまで
    XOOPS Cube/Legacy/X の構築・改修
    導入・保守・他CMSへの移行